僕の小さな世界の可能性という、小さな夢

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こんばんは。
 なんだか浮かんだり沈んだりの日々を過ごしている。ある一方ではこうして少し困った状況になったため、改めて自分が恵まれた環境にいることに気がついて、自分を慰めてみたり、そして一方では何かのせいにしてこの苦しみから逃れたいと思う。あいかわらずわがままだ。
 僕が自分を変えようとしていること、そして気持ちとしてはずいぶん変わったことに満足しているようなところもあるし、結果が出ないから焦る部分もある。そして結局物事はそれなりに進んでいるような気分になってどこかで納得している。
 年が明け、世の中が通常のリズムに戻ったこともあって、そこから相変わらず疎外されているような気分はある。僕はやっぱりどこかで胡坐をかいて、そんな人々を眺めているだけの卑怯者であるようにも思える。真剣になってもみないで、真剣になることがバカらしく思える部分もある。どこか他力本願で、なんとかなるんじゃないかと思っている。
 やめよう、自分を責めてもしょうがない。
 
 思うに、ここ数年の僕は僕に起こったさまざまな出来事を鎮静化するために生きてきたように思う。これ以上、ドラマが起こらないように、これ以上状況が複雑化しないように。そうして顔をあげてみると、ようやく太陽が輝き、穏やかな波が僕に訪れたように思える。もちろん不満というものは解消しきらないものであるから、それは置いておいても、もう嵐がやってきそうな気配はない。それはもう随分前に起こったことで、新しい太陽の光は痛みを消し去った僕の身体を少しずつ温めてくれるように思える。
 結果が出なくても、評価するというのは日本的な考え方で、ここヨーロッパでは特に合理的であるから、結果が出ないと意味がない。でもこうして穏やかな生活を手に入れ、新しい物事に進んでゆこうとしている自体僕にとっては大いなる結果と呼んでもいいだろうと思う。まあ、考え方の違いだ。
 性格的なものもあるのだろうけど、僕はすべてを合理的に考えてゆくことはできない。そうして考えてみると僕が娘に抱く感情というものはすでに合理的なものを超えたところにあるように思える。だって、今更ながら、それは捨てたほうが合理的だからだ。でもたとえ僕が何も光のあたる結果をだせなく、この人生がみみっちいもので終ろうとも、それは僕にとってただしいものの中に組み込まれている。だからやりたいことをする。わがままでもしょうがない。
 最近はそれがどうであれ、強く信じることができるものを持っているのがその人の強さというものであるように思える。そう考えると、僕は一体何を信じれるだろうか?
 今は仕事が決まって、とつぜん帆が風を受けたようにそれがどんな方向であろうともそちらに進んでゆきたいと思う。僕は耳を澄まし、風を待つ。まだ風は吹いてこない。世界は静寂に満ちて、僕は一人で静かに世界が変わってゆくのを待っている。
 よく考えてみると、僕は自分で自分を追い込んでいるように思う。この現状を変えるために、飽き飽きした見慣れた世界から逃げ出すために。僕は竿を振り上げ、それぞれの可能性という池に糸を垂らす。竿の数も、池の数もまだまだ無数にあるけど、僕の手が届く範囲の池にはすでに糸を垂らしてしまった。もちろんもう少し、遠くまで行ってがんばることはできる。でも、本当はどれかの竿が歓喜の揺さぶりと共に新しい可能性を釣り上げることを待っている。偶然を装った必然のように。
 待っていてもしょうがない、と思うけど、それは基本的には僕がせっかちで、待ちたくないからなのかもしれない。こうして書いていても確かにしょうがないけど、救いにはなる。
 そうして僕はまたいつものように米を砥ぎ、いつものようにひとりで食べる。また意味のない一日を過ごしたと思うけど、そんなことを言い出したらどこに意味のある一日など存在するだろうか。
 仕事が決まって、給料が入ったらすぐに海に行きたいと思う。まだ寒くてもいい。もしかしたらもう入れるようになっているかもしれない・・・。とにかく海に行きたい。僕の小さな世界の可能性という、小さな夢だ。

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