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小説「メビウスという欲望の輪の中で」から8年後のバリ島について思うこと

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 ひさしぶりに暇だと思う。
 こうして特にすることがないのは、なんとも急にどこかの穴に落ちたみたいで、どうも戸惑ってしまう。そう考えると最近はいろいろと忙しく動き回っていたのだろう。それはそれで楽しかったし、また暇になるとろくでもないことしかしないんだろうな。
 今は現実的には車の買い替え、そして、なんだろう?ほんとにあまりすることがないね。うん、しばらくぶりに真面目に文章を書いてみるのもいいのかな。書くことは無限にあるけど、確かにじゃあ何を書いていいのかといわれるとよくわからない。書きたいものが、まとまらないんだね。ま、いつものように。
 ダユウのことは良く思う。それなら、それをまた書きなおしてみようかとも思う。彼女は随分と泣いていた。あれは本当の涙だったのだろうか、おそらくそうなのかもしれないけど、僕はなんだかとても遠いところにいたままだった。それは近づこうとか、心を寄せようとかいう問題ではなく、まるで別の世界の出来事が目の前で起こっているような感じだった。僕の触れたものは彼女の手ではなく、そしてそこにあったものは彼女の心ではなかった。誰かほかの人のために泣いているように僕には思えた。
 それはあまりに時間が経ちすぎたためなのか、それとも、僕という存在の置かれた立場が変わってしまったからなのか、僕には判断できない。ただ彼女を愛おしいと思う気持ちはほとんどなくなってしまった。
 恋はタイミングだと人は良く言う。出会い方で上手く転ぶこともあれば、どうにもならない場合もある。それはいつもたまたまのタイミングなんだ。
 それを昔は運命と呼んだかもしれない。今はどうかといわれると、やっぱりそうかもしれない。
 運命、なんという響きだろう。
 もっと若いころ、僕は運命を憎み、そしてこの人生を憎んだ。死にたいほど憎んだはずなのに、今でもそれが運命だとあっさりと言える自分がいる。それが成長や経験と呼ばれるものだとしたら、そんなものに一体何の意味があるのだろう。ろくに思うようにならない人生というもの。おそらくは思うようにならないということを学ぶのが人生だとどこかに書いてあったように、それは、まあ、その通りなのかもしれないけど、そしたら欲求が生まれること自体が矛盾しているようにさえ思える。
 いつの間にかそうゆう生き方に慣れつつあるのかもしれない。何かを望む。時にはとても強く。でも、一方ではそれは叶わないだろうという逃げ道を作っておく。そしてだいたいの場合、最後はその準備しておいた逃げ道に逃げ込んで「ああ、やっぱりね」と思う。
 下らない人生だ。
 僕は他人の純粋性をどうこう言える立場ではない。僕よりも純粋であるとか、比べてみるのも難しい問題だとおもう。ただ自分に関して言えば、僕はずいぶん純粋ではなくなったんじゃないかと思う。まあ、純粋であることが良いのか悪いのかは別にして。でも世の中はそうじゃないように思える。純粋な愛は綺麗だとか、汚れのない心は美しいとか、ん、そうなのかもしれないけど、要するにそれは他人事だからそう見るだけであって、そうゆうもののほとんどはおそらくあまり現実的じゃないものなんじゃないだろうか?
 もちろんこうして文章を書くこととか、物語を作ることに関して言えば、それは現実的である必要はない。腕が4本ある人がいてもいいし、そらに浮かんでいる車がいてもいい。ただそこにリアリティというものがあれば。純粋性とリアリティを共有することが、文学には必要なのだろうか?たぶん関係ないね。純粋性はただの純粋性であって、リアリティはただのリアリティだ。
 こうして冬の夜にひとりで物を考えていると、世界はとても閉じられた場所のように思える。リアリティを求める、純粋で無垢な魂のように、それは完結しつつもどこへも行かない。月は青く冷たく、パソコンの光に照らされた僕の10本の指は、どこヘ向かうこともなくいつものようにさ迷っている。

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コメント

  1. t.t. より:

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    小説「メビウスという欲望の輪の中で」読みました。この間お会いした時に佐武さんがおっしゃっていたことが、この日記と小説を読んで、ずいぶん理解できたように思います。
    この8年間に佐武さんがいろいろな国に行っていろいろな経験をしていらっしゃってた間、ダユウさんの時は止まっていたのではないかと思います。富山の生活に変化がないように、きっとバリの彼女の生活にも変化はないのだと想像しました。
    彼女が久しぶりに会って恥ずかしがっていたのは、ずっとそこに止まっていた彼女にとっては、佐武さんとの恋はそれほど遠い過去ではないからではないからかと。海外を飛び回っていろんなことを吸収しいろんな経験をした佐武さんが、もはや同じ感情でその恋を思い出せなくなっていたとしても。
    そう勝手に解釈しましたが、どうでしょう?

  2. tatsu より:

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    t.t. さん
    たしかに、おっしゃるとおりなのかもしれないですね。富山に8年いても、おそらくそれほど大きな変化はないでしょうね。
    ただ僕が今回思ったのはそこには確かに遠い昔の自分がいた記憶があって、至る所で僕はそれを見つけることができたということ。
    あと昔と違うのはこうして海外に根を下ろしてそこからの視線が今の僕にはあることと、やっぱり僕が曲がりなりにも父親になったということがいろんな意味で変わってしまったのかなと思います。
    それとお会いしたときにも言ったかと思いますが、「縁」というものは非常に大切なものなのだと改めて思いました。

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