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遠い空の下で受け取ったもの

yH5BAEAAAAALAAAAAABAAEAAAIBRAA7 - 遠い空の下で受け取ったもの
 窓の外にはスプレーをしたような霧が広がり、所々に黄葉した街路樹が彩りを添えるミラノの街が見えた。僕はCDを選んでプレイヤーに入れた。スピーカーからはモーツァルトのレクイエムが流れ始める。僕は本棚から彼女の本を抜き取って仏壇に供え、線香をあげた。こうゆうときに家に仏壇があるととても便利だ。
 僕と彼女が知り合ったのは彼女の本の出版パーティでのことだった。大きな花束を抱えたくさんの人に祝ってもらっている彼女はとても幸せそうで、そして輝かしい未来を手にしたように見えたけど彼女は遠慮がちに微笑んでいた。
 おそらくパーティの2次会にまで行ったせいか、僕と彼女はそれからときどきメールのやり取りをするようになった。年齢が近いせいもあったのか、何度かメールをやりとりすると彼女は関西弁になった。おそらくはそれが彼女にとっては人との距離を表すものだったのだろう。僕が家のエアコンが壊れていてとても暑いとメールすると、私も扇風機でがんばってんで、と返信がきた。
 メールをしても返事が返ってこない日が長く続き、僕もそうゆうものだったのだろうと思っていた。別に珍しい話じゃないし、海外にいる人のことなんかいつか忘れてしまう。まあ、そうゆう人だったんだと思っていた僕が間違っていたのを知ったのは、今日の午後のことだった。
 パーティの夜雑踏のど真ん中の新宿駅で、彼女と別れるときに抱きしめて、さよならを言いたいような感覚になったことを覚えている。それはおそらく恋愛感情というものではなく、人間愛に近いものだった。要するに僕は彼女を信用したのだ。おそらくは彼女もそう思ってくれたのかもしれない。
 そこに編集の人や他のライターの人がいなかったらそうしていただろうと思う。そして、今ではそれでもそうしておけば良かったんだと思っている。
 僕がオーストラリアにいるときに祖父が亡くなったときのことを思い出した。母から泣きながら電話がかかってきて、僕はどうしようもない距離というものに、そしてその場に自分がいないことに対して遠い空の下で途方もない疎外感のようなものを感じだ。
 今回は家族や友人などと比べると僕の悲しみなどというものは屁みたいなものだけど、燃え上がる線香の煙を見ながら人の死に対して泣くのは何年ぶりだろうと思った。それは一時的にせよ、僕の将来の不安や日々の細々とした不満などがどこかに消し飛んだ瞬間でもあった。そう、それは死なんだ、と。遠く1万キロも離れた場所で、美しく純粋な魂が消えた。
 僕はよくこう考える。
 人間とは死ぬか祈るかしかできないのだと。死んでいったもののために、僕は祈り続けるだろう。
 そうしている間に家に荷物が届いた。雑誌が届いたのだろうと思ったけど、この間世界フィットネス大会でお世話になった「日本一」の望月さん夫婦からの荷物だった。中にはセブンスターとカレーが山ほど入っていた。メッセージを読みながら、がんばって生きていかないとな、と霧が徐々に深くなってくるミラノでそう思った。

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