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2009年の復活祭 1「ローマへの道」

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 いつもそうするように目を覚ましたと同時に時計に目を向けた。デジタルの表示板には7:54と書かれている。その横には4/10と書いてある。
 4月10日。
 僕の人生にとってこの4月10日という日はある特別な意味を持っている。それは僕が18歳の大学入学式の日にクラスの女の子に一目惚れした日であり、24歳の時に不倫することになったバリ人の彼女と知り合った日であり、僕の娘を産んでくれたオランダ人の彼女と知り合ったのは4年前の4月10日だった。
 僕は布団の中で目を覚ますとそうゆう一連の思い出に浸った。でも今日の4月10日にはとくに何も起こりそうじゃない。僕はいつもどおりミラノの家にいて、何の予定もなかった。劇的な恋の予感はどこかとても遠くの離れた場所にあって、そこから僕を見下ろしているように思えた。
 いつもどおりパソコンの電源を入れ、コーヒーを入れて煙草を吸った。部屋を見回すと長い間雨が降っていたせいであまり掃除する気の起こらなかった部屋がやる気のなさそうに僕を取り囲んでいた。イタリアのエスプレッソコーヒーの匂いと、煙草の煙が入り混じるいつもの朝の中でカレンダーを見つめた。斜めに傾いた天窓からまばゆい春の光がまっすぐに部屋の中に差し込んでいた。
4月10日。
 僕はいつも部屋の掃除をする時に聞くCDをプレイヤーに入れ掃除を始めた。掃除機をかけ、窓を拭き、床をモップがけする。下にあるバーから従業員の声がいつものように響き、僕の部屋に入ってくる。怒鳴りあうイタリア語と、春の侵入者のような太陽の光。
 4月の11、12日は復活祭のため3連休だった。オランダ人の別れた彼女に新しい彼氏ができてからというもの週末は娘に会うことができずにいて、僕には何の予定もなかった。クリスマスのように特別な人と過ごす日である復活祭にまたひとりでミラノにいることを考えるとずいぶん気が滅入った。
 誰かとぬくもりを共有するべきときに、与えられるものがない。それは僕の責任なのかもしれないし、誰のせいでもないのかもしれなかった。数日前に中部イタリアにて大規模な地震があり、町がひとつ潰れて、300人近い死者が出た。
 ミラノに住み始めて2年が経ち、3年目の春が僕のもとに訪れた。ようやく僕のところに平穏の足跡が響いてきたように思えてきた時期でもあり、ドタバタした運命の嵐が過ぎ去っていったと実感できる再生の息吹を穏やかな春の中に感じることができた。僕は掃除をしながら人生を翻弄し、劇的に変化させてきた記念的な日について考えた。
 いったいなぜいつも4月10日なのだろう?それは僕が生まれたときに決められた何かが組み替えられる特別な一日なんだろうか?
 世界の中で繰り広げられるさまざまな現象とそれにまつわる不思議な物語。一瞬の間に近づき、春の夢のように記憶を焦がし、その匂いを覚えている間にそれは過ぎ去ってしまう。掃除を終えたばかりの部屋の中は気が付くと静まり返っていて、そんな春の思い出がいつの間にか部屋の中に充満していた。
 4月10日。
「ローマへ行こう」という気持ちがどこからか生まれ部屋の掃除が終わるころに僕の気持はほとんど決まっていた。
 思い立ったが吉日という言葉のとおり、僕はすぐにインターネットでホテルを予約し、簡単な荷造りをしてからミラノの中央駅へ向かった。


 僕にとってローマに行くのは2度目だった。初めてローマを訪れたのは確か2001年の初夏の頃だったと思う。ローマを訪れる前にはネパールに一か月滞在していた。ちょうどその時ネパールではテロが起こり、国王を含め王族が何人も殺されて大きな暴動が起きていた。警官隊と市民が衝突し何人か死傷者も出ていた。旅行者には戒厳令が出され何日も宿に待機していなくてはいけなかった。僕はそんなネパールから何とか逃げ出したという感じでローマに辿り着いたのだった。
 ミラノに住み始めて2年が過ぎ、いつかまたローマに行きたいと思っていたけど、なかなか機会を見つけることができなかった。もしかしたらそれよりもミラノとローマという場所の記憶を繋ぐことをためらっていただけなのかもしれない。
 初めてミラノを訪れたとき、あまりにもローマと雰囲気が違うので同じイタリアという国である認識がどうしても生まれなかった。僕の中ではイタリアというイメージはローマで生まれてそのまま何年も変わることがなかった。
 正直に言ってミラノという町の第一印象はそれほど良いものではなかった。ミラノに初めて来たのは2005年の初夏の頃でローマを訪れてからちょうど4年後のことだった。当時僕は知り合って一か月ばかりのミラノ出身であるオランダ人の彼女とハンガリーのブタペストで同棲を始めていた。僕と彼女が知り合う前から彼女の両親がブタペストに来ることになっていて、ちょうど僕と彼女が一緒に住むアパートを見つけて入居する日に両親がミラノからやってきた。
 お互い知り合ったばかりだったし、突然両親に会うことになった僕は当然のことながら展開の速さに戸惑っていた。彼女の両親は5日ほど滞在し、それからはのんびりと彼女と暮らしていたけどある日突然「明日からミラノに行くわよ。もうチケット買ってあるから」と僕に言ったのだった。その次の日に僕と彼女は飛行機に乗ってミラノの彼女の実家に泊まりに行った。まだ知り合って2か月ほどしか経っていなかった。
 そうゆう後ろめたさのようなものも少しあったためか、始めてのミラノはまったく肌に合わなかった。ローマとミラノ。僕の中で二つの町はどこか別々の世界に属する、繋がりのない場所だった。実際に僕はミラノに住み始め、ローマという町のイメージはどんどん遠ざかっていった。2年ミラノに住んでみても、ローマとミラノという記憶は平行線を保ったまま決して交わることなく僕の中に横たわっていた。

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コメント

  1. mitsuko より:

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    そう 4月10日に・・・
    歯車がそうなっているんでしょうかね
    それとも、その時期になると貴方の中の何かが何かを呼び寄せるのでしょうかね
    今 一人でいることは、次の出会いのための準備期間だと思いますよ

  2. tatsu より:

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    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    mitsuko さん
     ぼちぼちひとりで生きていきます。まあ、娘もいますしね。
     おしゃべり楽しんでくださいねー。

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