7年目のミラノ生活について

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 この間新事業である日本からのモデルの斡旋会社のコーディネート、サブ・フォトグラファーとして仕事をさせてもらった。日本からモデルやメイク、パリからもヘアなどが来て、レンタルスタジオでの本格的な撮影となった。
 この事業は西尾聖子さんという方が中心に立ち上げてられるもので、パリやニューヨークにもモデル達の橋渡し的な事業を展開してゆくとのこと。
 ミラノやパリに住みクリエイティブな仕事をしているというと華々しくて、魅力的で、面白い人生と聞こえるかもしれない。でも、人にもよるのだろうけど僕の場合は実際はそういうわけでもないと思う。人は帰ることのできる場所があれば、別の場所を訪問地として、ある限定された世界の享楽に酔うことができる。
経験という蜜を吸い、現実が夢を浸食してしまう前にその回帰する場所へ戻るという安心感。しかし海外という非現実が夏の夕暮れのようにゆっくりとその影を伸ばし始める時、実体はその闇のなかに一旦は隠れてしまう。
 元々闇を見据える覚悟がある人間はその闇の中からさらなる光のさす方向へ進んでゆこうと努力することになるが、元々自分の出発点のない人間はどこへも辿りつけない。ある意味では影も闇も意識することができず、亡霊のように救われない魂を引きずり続けるしかない。
 要するに満足感とか、納得できる日々という当たり前の感覚にどこでもなってしまう。骨の休まる温泉もなければ、心底ほっとするようなふるさとの味、ボーナスなどときどきの贅沢ということもない。
 海外生活を長く続けてゆくということは、一度かじって捨てた骨をもう一度拾ってきて、さらにしゃぶりつくぐらいの諦めの悪さが必要になる場合もある。
 それでもある程度自分のやりたいことを続けられる環境にいて、好奇心さえあれば学ぶものは身の周りにあるという暮らし。何に価値基準を求め、どうゆう暮らしをしたいかというイメージを持てること。イメージに近づくためにイメージを重ね、イメージを持ち続けるということ。
 
 まあ、ぼちぼちとそうゆう感じでやっています。
 

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