イタリアホロコーストの歴史
こちらの「Memoriale della Shoah di Milano」はミラノ中央駅に隣接する博物館で、イタリアのホロコーストを伝える記念碑となっています。
現在は財団が運営していますが、元々博物館プロジェクト自体は90年代から発足したそうです。第二次世界大戦中イタリアは1943年に降伏し、ドイツ軍が北イタリアを占領したことからホロコーストの歴史が始まりました。
博物館入り口付近には「indifferenza」(無関心)のモニュメントが建てられています。大戦後はこの場所は40年以上忘れ去られたそうですが、北イタリアのユダヤ人達がこぞってミラノから収容所へ送られた歴史が紐解かれ2013年に博物館としてオープン。
現在では観光客のみならず、地元学生の課外授業の一環としても連日多くの人が訪れ一日あたり200~300人の人が訪れるそうです。
博物館は中央駅のかつてのプラットフォームがあった場所に位置しており、実際に囚人を乗せた列車が発車した場所が博物館として観覧可能です。
ホロコースト列車
博物館内には実際に囚人を輸送した木製の列車が展示されています。最初に輸送されたのは1943年12月6日囚人たちを乗せた列車はアウシュヴィッツへ向かいました。電車の扉は内側からは開かないようになっており、当時では約1週間ほどの輸送期間となったそうです。
電車内には子どもたちが積み上げた追悼の意を捧げる石とメモが残されていました。
幻の21番ホームと名前の壁
囚人を収容した電車は現在では使用されていないプラットフォーム21番から発車されました。かつては動物や食料などの輸送に使用されていたそうです。電車は奥のエレベーターから二階のプラットフォームへ送られ、連結されたのち出発しました。
21番プラットフォームの床には出発した電車の日付が刻印されています。当時のリストが不正確な部分もあり正確な人数ではないとされていますが、ここから6000~7000人が収容所へ送られたとされています。
プラットフォームの奥には「名前の壁」と名付けられた掲示板があり、移送された囚人たちの名前が表示されています。オレンジ色で書かれた名前の方は生存者で、白の名前は亡くなった方達の名前です。
歴史を繰り返さないための記念碑としての役割
博物館内には個別ブースとなった生存者のインタビュー形式ビデオが上映されています。基本的にはイタリア語ですが英語字幕が表示されています。
奥には一本のレールが引かれたモニュメントがあります。ここから出発した人々を思えば、歴史を繰り返さないための記念碑としの役割を担っています。
- 博物館「Memoriale della Shoah di Milano」
- HP
- 入場料:10ユーロ
- 開館時間:10:00~16:00 (金曜閉館)
旅行者も利用できる図書館も併設
博物館には同じ財団が運営している図書館もあり、基本的には誰でも利用可能です。少し落ち着いた場所で集中したいことがあればこちらを利用してみるのも良いかもしれません。
図書館利用時間:月~金 10:00~17:30 日~16:00